自衛隊の飯盒
自衛隊では、旧軍伝来の飯盒を現在でも引き継いで装備体系に組み込んでいます。 

飯盒の名前の由来
飯盒の飯は字のごとくメシ。盒とは平たく言えば入れ物のこと。 例えば弾薬入れは弾薬盒と呼ばれていますし、当時良く使われていた弁当箱は割盒と呼ばれていました。 つまり飯を入れる入れ物と言う意味です。


飯盒の歴史
旧軍の最初の飯盒は今のような形ではなく、ブリキ製の単なる器でした。 漆を塗ってあったために直接火に掛けての使用は出来ず、単純に食器としてしか使えません。  
当時の日本軍は西洋の軍隊を手本としていたため、装備を含め食事まで西洋式を取り入れ、現地調理の必要が無いクラッカー食を軍食として配給していました。 しかし現代の我々ですらそうであるように、食文化の違いは兵隊にとって不満も大きく、その後可能であれば炊飯した米飯を配給するようになります。 ただし食事のたびに兵士を一箇所に集めたり、もしくは炊いた飯を前線まで運搬するのはかなりの手間がかかるので、日持ちする生米を配給し、各自現地炊飯をすることが望まれました。  待望の炊飯が可能な現在の形の飯盒が採用されるのは日清戦争終結後の明治31年2月からのこと。 この時採用された物が、現在でもお馴染みの、あの形をした飯盒なのですが、 さて、この飯盒は独特の形状で、携帯するのに比較的邪魔にならず、お米を炊くのにも適しているため、日本独自のものだと思っている人もいるかもしれません。 でも実はこの飯盒、ドイツのM1893 mess kits を模範としているのです。参考LINK
(ちなみにこの形の飯盒はヨーロッパ各地で使われており、元祖が何処か?よく分かっていません?? 例えばイギリス式はこんな感じ
このドイツタイプの飯盒伝来は、明治18年に陸軍大学校教官として着任したメッケル少佐が持ち込んだとも、 ドイツで学んだ駐在武官が、ドイツ兵が使っている飯盒を見て、その合理的な調理器具に驚き、日本に伝えたとも言われています。

陸軍制式の飯盒は、一度に2食分4合の米を炊飯でき、副食の容器に利用される中蓋(掛子という)は米の軽量カップにもなり、すりきり一杯でちょうど1食分2合が量れます。 この掛子は日本独自のアイデアらしく、他国の飯盒にはあまり見られません。  

その後シベリア出兵の戦訓を活かし、寒冷地対応および炊飯時間省略の為、三食炊飯可能な新型「九二式飯盒」が昭和7年に登場しました。
(それに伴い、それまで使われていた一重式の飯盒を、旧型と呼ぶようになります)
 これは従来の飯盒の中にもう一つの飯盒を入れ込んだ形で、一般的には新形飯盒、もしくは二重式飯盒と呼ばれます。
使い方は外側の飯盒で炊飯、内側の飯盒で汁物もしくは煮物を調理する方法と、両方で炊飯して、翌日の炊飯を省略する方法とがありました。
つまり同時に8合炊けるわけです。

飯盒には炊飯の調理器具(鍋釜)としての使い方以外に、本来の食器としての使い道、また弁当箱としての使い道があり、本体に炊いた米と漬物(梅干など)、掛子にオカズをいれ、蓋をして持ち歩くという方法で使われました。 九二式飯盒の場合、内側の盒を外側の盒の上に積む形で、最大8合(4食分)の食料を携行することが可能です。

ちなみに将校用の飯盒は長方形の箱型で、旧型にはワイヤーの取っ手も無いため炊飯機能はなく、もっぱら弁当箱として使われていましたが、もっとも将校は最前線には滅多出ませんし、個人で炊飯することもありません。

その後終戦を迎え、物不足であったため(特に鉄製品は戦時中徴収されたため)鍋釜が足りず、兵隊が戦地から持ち帰ったり、闇市に流れた飯盒は庶民にも暫く愛用されたようです。
現在もキャンプでの飯盒炊飯には、一般的にこの「兵式飯盒」が使われていますので、山の学習などで使った経験のある人も多いのでは?


自衛隊の飯盒
自衛隊で飯盒が使われ始めたのは定かではありませんが、多分発足当初より使われていたと思われます。  基本的に自衛隊は戦場(演習場)が日本国内に限定され長距離移動を移動せず、兵站が整い、輸送力も機械化されています。 もともと警察の予備隊として発足しているということもあり、旧軍のように頻繁に飯盒炊飯する事も無いので、いわゆる二重式飯盒は採用されず、旧型と言われる一重飯盒が採用されました。  形は旧軍の物とまったく変わらず、もちろん使い方も変わりません。 しかし警察予備隊発足の2年後には現在お馴染みの缶飯が登場し、それ以来飯盒炊飯する機会は減っていきます。 ちなみに缶飯の缶のサイズは、丁度飯盒にすっぽり納まる大きさになっていますね。
しかし、基本的に缶飯は配給前に一度加熱し、3日程はそのまま喫食できるので、飯盒で温めなおすことはまずありません(戦闘糧食を食べるような状況では、そんな時間もありませんし)

殆ど使われないはずの飯盒ですが、飯盒は背嚢の入れ組品になっているので、背嚢を使う訓練の時は必ず携行します。
飯盒炊飯をする事もないのに未だに装備体系から外されていないのも訳があるのですが、その一つに本来の食器としての使い道があります。 自衛隊では演習時、もっぱら戦闘糧食よりも、現地にて野外炊具などで調理した食事や、駐屯地から運搬した温かい食事を配給します。 その時に食事を受け取る食器として飯盒が使われ、普通、本体にご飯、中蓋にオカズ、外蓋に汁物が入るそうです。
(ただしメニューの組み合わせによってはその例にあらず、また部隊によっても違う。 しかしどの部隊も、飯盒には洗浄の手間を省くためビニール袋が被せられ、その上に飯を盛るのが一般的。)

その後、最近になって飯盒II型が登場。 これは従来の飯盒よりコンパクトな割りに蓋と中蓋が深く、ハンドルで蓋と中蓋が結合出来るので片手で蓋と中蓋を一緒に持つことが出来ます。 つまり鍋としての機能よりも食器としての機能を優先させた自衛隊独特の飯盒なのです。
(それに伴い、今まで使われてきた4合炊き飯盒は、I型と呼ばれるようになります。)

これにより炊飯出来る量が2合と減り、缶飯もパック飯も温められなくなりましたが、大きさが従来の半分近くになったので持ち運ぶのに嵩張らなくなりました。
(因みに、この飯盒ではインスタントラーメンが作れないので、隊員からは不評のようですが)
もっとも最近では、調理された食事を受け取る時は、米軍のメストレーに似た(パレットと言ってます)プラスチックのトレーが準備されているので、
(演習場で状況に入った時の食事は、戦闘糧食や野外炊具で調理した物を、スパーの惣菜コナーなどに置いてあるパックに詰め、運ばれて来た物を食べる)
飯盒で食事を受け取ることもなくなり、飯盒の存在意義も危ぶまれています。しかしいざと言う時、現地自活に鍋は必ず必要ですし、バケツなどの用途に使ったり、最悪スコップの代わりに穴を掘ることにも使えますから、この先も是非使い続けてもらいたいものです。

自衛隊飯盒 I型 II型 比較

  
I型飯盒                             II型飯盒


こうして比べてみると、II型は本体が浅い割りに、中蓋と外蓋が深くい事が分かります。


I型飯盒は面積の広いパック飯でも余裕で湯煎できるのに対し、II型は缶飯ですらはみ出してしまいます。

    
本体と蓋を固定できるハンドルは、このように中蓋と連結できるので、片手で二つの蓋を持つことが出来ます。
また簡単なフライパン代わりとしても使用可能です。

  
旧装備の背嚢には、I型飯盒を入れるポケットがついています。


おまけ、自衛隊の水筒

  

左より、 現用II型装備水筒 旧装備水筒後期型 旧装備水筒迷彩PX品 
(本体はポリタンクの後期型)

また、これ以外に旧装備水筒には中期型と初期型があり。中期および初期型のタンクはアルミ製です。
旧型の水筒覆いは右側のPX品を国防色布にしたもので、アリスクリップは付いていません。
それ以前は米軍のお下がりを使っていたようです。




自衛隊の装備には、このQマークが入っています。

番外、自衛隊食堂の食器


今回の特集にあたり、オスカー様より資料及び情報提供をしていただきました。 ご協力ありがとうございました。
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